「バイアス」という言葉は通常、修正しなければならない有害な逸脱や偏りという悪い意味合いを持ちます。しかし、電子工学の世界における「バイアス」とは、単に回路を正しく動作させるために加える必要がある電圧や電流のことです。そのような文脈を参照しながら、デーヴィッド・チュードアは楽器の「本性(nature)」を「バイアス」と言い換えることがありました。この言い換えの面白いところは、「本性」の肯定性を否定性に変えてしまうことです。なぜなら「本性」と違って、バイアスは同定ではなく、制約の作用だからです。それは、なにかがなんであるかということではなく、なにかがなんではないかということに焦点を据えます。
このような「バイアス」の概念を一般化することで、音楽における楽譜や指示といったマテリアル、あるいは「不確定性」などといった言葉で表現されるそのようなマテリアルと演奏との関係について、従来とは異なる観点から考えることができるようになります。なぜなら、もし楽譜が演奏者に、演奏を実現する際に課される制約を伝えるバイアスであるならば、たとえどんなに念入りに書き込まれた詳細なスコアであっても、与えられた制約内においてなんらかの自由が存在するからです。否定性の大海に浮かぶ肯定性の余白がかならず残るのです。別の言い方をすれば、バイアスという観点を設けることで、不確定性は程度問題になるわけです。
しかし、演奏において可能なことにバイアスをかけるマテリアルは楽譜のほかにもあります。それが広い意味での(演奏者の身体を含む)「楽器」です。ただし楽器がもたらすバイアスは、楽譜や指示のように言語や記号によってではなく、それぞれ固有の物質性によって作用します。つまり、テキスト(記号)的バイアスと物理的バイアスを区別することができるわけです。
またバイアスの否定性は、とりわけグレゴリー・ベイトソンによって定式化されたサイバネティクスの方法と重ね合わせることができます。ベイトソンは、あるものが別のものを動かすことによって出来事が生み出されたとする因果的説明の肯定性に対して、サイバネティック的説明は否定的で、まず可能性の宇宙を考え、次にその可能性の多くがなぜ実現しなかったのか、どんな拘束や偏りがその発生を止めたのかを問うと整理しました。これは、可能性の宇宙として提示されるマテリアルがあり、そこから特定の演奏が生み出されるために複数のバイアスがかけられるというパフォーマンスのモデルに非常によく似ていることがわかります。じつは「可能性の宇宙」とは、ジョン・ケージが、チャンス・オペレーションズにさらされる前の音楽パラメーターの状態を表現するために使った言葉でもありました。そして、この並行関係はもっと深く掘り下げることができます。なぜなら、そもそも「パフォーマンス」という言葉自体、サイバネティックスの創始者であるノーバート・ウィーナーが、1940年代初頭に振る舞い主義(行動主義)のモデルを人間から機械に翻訳しようとしたとき「振る舞い(behaviour)」という言葉の言い換えとして使い始めてから、さまざまな分野で拡散しはじめたと思われるからです。
チュードアやサイバネティックスを出発点にしながら、このようなマテリアルに宿るバイアスからパフォーマンスのシステムを理論化する作業を行なっています。その一端を、2022年5月にRoutledgeから出版されるMaterial Cultures of Music Notationというアンソロジーに含まれる「Material Bias」という論文のなかで展開しています。